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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

◎空想物語:1「うつ」の見せる白昼夢

 空想物語・・・「うつ」の見せる白昼夢

 これは、空想のお話です。
 何処かで見たような気がするが?と考えてしまう貴方。
 すっかりデジャブーに嵌まっています。

 それでは・・・。
 空想の物語り・・・「うつ」が見せる白昼夢の始まりです。
《第一部》
【第一章】
 ある関西地方の石油コンビナート群が広がる片隅に、発展から取り残された小さな集落がある。
 そこは、工場から立ち上る煤煙の他、戦後の急激な経済発展からは、何の恩恵も受けることもなく、昔ながらの家屋が数十件肩を寄せ合ってひっそりと暮らしている。

 その中に一軒の話である。
 戦前のことだろうか。
 その集落に何時の間にか住み着いた一家が暮らしている。
 幾つかの苗字しか名乗ることのない集落の中では異質の存在だった。

 集落には、氏神を祭る小さな社がある。
 不思議なことだが、その一家は、何故か『社』の神主と昔知り合いだったようで、腰に刀を差していた時代の話が話題になったことがあるそうだ。

 時の流れの中で、『社』は神主の系図が途切れると、集落が村祭りをするための広場に変わり、今ではその『社』さえ取り壊されている。

 だから、その一家が如何いう家系で、如何いう暮らしをしていたのかを語るものは誰もいない。今となっては。

 その一家は、祖母と両親と三人の男の子供が暮らしているが、祖父を早くに亡くしたために生活は豊かではない。
 小さな畑を借りて、自分たちの食べる分だけの野菜を作り、細々と暮らしている。
 貧乏だが、母の影響だろうか笑いが絶えることはなかった。

 ある日、『リボンシトロン』という炭酸飲料水を1ケース買ってきた母は胸を張って言い張った。
 『今日から家(うち)も中産階級!』
 『リボンシトロン』をケース買いした一家が、晴れ晴れと言い放つ、当時、流れていたテレビコマーシャルのセリフである。

 「このポテトサラダ、何か硬くない?」
 「卵の空がくっ付いて離れなかったから、捏ね繰り回して放り込んだけど、ヤッパリ食べられない?」

 仕事で疲れて転寝している父の足の裏をクスグったり、鼻と口を両手で摘んで、吃驚して飛び起きる父をみてケラケラ笑っている、子供のような人だ。

 私はその子供たちの長男として生まれ「豊」と名付けられた。
 私が、未だ幼稚園にも通っていない幼い頃、チョッとした事件があった。

 それは、暑い夏のこと。
 小さな庭の草を抜いて遊んでいた私の前を、突然、軒下から現れた『真っ白な蛇』が横切っていった。
 そして『蛇』は何処かに行ってしまう。

 盛夏の強い日差しの中に、薄っすらと鈍く輝く『鱗』と、何処かヒンヤリとした凛とした空気に包まれていたのが不思議だった。
 今でも鮮やかに思い出す。
 子供心にもその事件は『禁忌に属するもの』という意識が強く、誰にも語ることはなかった。

【第二章】
 私が小学生の高学年になる前のことだったのだろう。
 それまで、狂気ともいえる好景気に沸いたこの国に暗い影が忍び寄る。
 世にいう2回に及ぶ「石油ショック」である。

 東京オリンピックを発端に、順調に推移した経済が完全に滞る。
 その影響は、農業から石油コンビナート群に家計を託し始めていた、この小さな集落にも少なからず暗い影を落とすことになる。

 「賃金カット」に「昇格停止」。
 当時、未だ健在であった社会党の主導する一年にも及ぶ「長期ストライキ」。
 でも、その介なく、強引に進められる人員整理。
 多くの者が鉄色に輝く戦後復興の象徴だったコンビナートから去っていった。

 我が家もその例に漏れることなく、否、それ以上の圧迫を受けることになる。
 移り住んだ地に田畑はなく、工場労働者としてしか収入の道のない状況の中、父は白内障を患っていた。
 当初、会社の生産品の成分を分析する部署に属していた父だったが、草刈など主に保安を維持する部署に飛ばされていた。
 彼は「合理化=人員整理」に最も近い対象者だった。

 祖母と小学生の三人の子供を抱えて、外で働くことが出来ない母は内職で家計を補っていたが、とてもその収入だけでやっていける訳がない。
 其々の従業員の家庭事情など考慮していれば、過酷な人員整理などできる筈も無く、毎日仕事も与えられず、退職を促される父の表情は日毎に暗く澱んでいった。

 ある日のこと、彼はロープをカバンに隠し、会社との最後の交渉を行ったという。
 その日も工場長と人事関係幹部が並ぶ部屋に通された彼は、オモムロに隠しもったロープを取り出し静かにこう述べたそうだ。

 「今日は印鑑を持ってきている。」
 「この『退職願い』の書類に押印する覚悟できた。」
 「しかし、職を失えば、我が家は生きていけない。」
 「家族を養うことが出来ないなら、生きていても仕方がない。」
 「書類に押印した後、申し訳ないが、この部屋で首を吊る。」

 悪いことをした時には、こっ酷く叱られたが、腕白盛りの子供たちと子供のような母をコヨナク愛した温厚な性格な彼からは想像もつかない迫力があったのだろう。
 「それでは、・・・」
と言って書類を差し出す人事部長を、工場長は手で押さえ。
 
 「こんなものは片付けてしまえ。」
 「君の言うことは判った。」
 「今後、二度とこの部屋に呼び出すことはしない。」
 「悪いことをしたと思っている。」
 「しかし会社が大変だと言うことは判って欲しい」

 未だ、『漢(おとこ)』のいた時代であった。
 10人いた父の属する部署からは、驚くべきことに9人が去っていった。
 こうして大きな嵐が去っていった。

【第三章】
 工場長の判断とは言え、多くの者が去っていった会社の父への対応は余り芳しいものではない。
 昇格はありえず、社屋の片隅でヒッソリと仕事をこなす日々が始まった。
 鬱屈した強い思いもあったことだろう。

 それでも彼は、愛する家族を守ることに専念した。
 タバコも吸わず、酒も飲まず。
 家族の笑い声だけを楽しみにしながら。
 
 当時でも月に20万円前後の賃金では、家計は苦しい。
 私が中学になった時に、母親が内職を止め、縫製工場にパートで働くことになるのは自然な流れだったのかも知れない。
 
 連れられて、彼女が実家に里帰りした時に聞いた話がある。
農家の末娘として育った彼女は、中学の時はズッと「副級長」をつとめていたらしい。
 当時は女性が「級長」になることは在り得ない。
 何と中学校を通して最優秀な成績だったという。

 農村に女性を進学させる意識が希薄な時代である。
 彼女は進学せぬまま、知人を通して父親と知り合い、そして我が母となる。

 そんな彼女が働き出した。
 従業員10名を切る縫製工場ではあるが、一番下である筈のパートの彼女が何時しか仕事を取り仕切っていった。
 
 6人を数える彼女の兄弟姉妹も事在る毎に彼女に相談に来た。
 子供のような無邪気な性格ではあるが、直感的に、そして論理的に事にあたった。
 中学生で生意気盛りの私の話に、真正面から立ち向かい、時には、言い負かされることがある。
 意地になって勉強したのは、彼女の存在が非常に大きかったのだ、と今でも思っている。

 「今回の試験はクラスで5番目くらいかも知れない」
と中学3年時の模擬試験の結果を話していた。

 ハッキリ言って私には自信があった試験である。

 「そう」と言いながら、興味もなさそうに母は聞き流した。
 一学年160人ほどの中学校であるが、私は20番を切ったことがない。

試験の結果が出た日の夕食。
 「ちゃぶ台」を囲み、何時ものように、大皿に盛られた「オカズ」を兄弟で奪い合いながら話し出す。

 「ヤッパリ駄目だった。クラスで5番目。」
と言って彼女に試験結果が書かれた紙を渡す。
 「いらない」とキッパリと拒否した母親だったが、チラッと紙を見る。

 一瞬の緊張と弛緩。

 微笑を噛み潰しながら、何事もなかったように彼女もオカズに箸をだす。
 何時もの夕食に戻っていった。

 大事そうに彼女が「ちゃぶ台」に置いた試験結果の書かれた細長い紙には、それ以上小さくはならない数字が記されていた。

【第四章】
 県内の進学校に進んだものの、圧倒されて中々成績が振るわない。
 何とか3年になって盛り返したが、時既に遅く、京都の私立大学に入学することになる。
 関西有数の私大ではあったが、ひと時の勢いはない。
 下宿を余儀なくされる二重生活は、トテモ豊かとは言えない我が家にとって非情な出費であったことは間違いない。

 高校を卒業して就職した弟から、「生活費」の名目で毎月お金を受け取りながらの綱渡りの生活が始まった。
 1回生の時には、1ヶ月に何度か帰省していた。
 大学が生活の場となっていた私は、京都から離れたくなくなり出した2回生が始まった頃のこと。

 これが最後かなと思って帰省していた自宅で、母が急に腹痛を訴える。
 夜間の救急病院に運び、処置を受け少し痛みは軽くなったようだった。
 救急病院は、何の病状かを確定することが出来ず、そのまま帰宅する。

 念の為、我が家の懸かりつけの医院で診察してもらうことになった。
 医院に連れて行こうとした父は、愚図る母を宥めるのに相当苦労したらしい。

 何かと言いながらも母の症状は気になるもの。
 大学に戻っていた私は、医院の電話番号を調べ念の為、検査結果を聞こうとする。

 「電話ではお話できません」

 受話器を握り締め、呆然としながら嫌な予感と戦っていた。

【第五章】
 京都独特の、茹だる様な、アスファルトから蒸せかえる暑さが漸く収まりかけた初秋のある日、私は帰省のための電車に揺られていた。
 手術は11時から始まる予定だったので、到着するころには結果が出ている。

 情けない話だが、私は母の手術に立ち会う勇気がなかった。
 数時間に及ぶであろう手術が終わる時間を見計らった帰省である。
 今にも叫びだしたくなる思いを胸一杯に溜め込み、早く列車が着けば良いのにという想いと、このまま着かなければ良いという想いが複雑に交差していた。

 病院に着いたのは、少し冷え込み始めた夕刻だった。
 母の病室に向かうと集中治療室にいるとのことである。
 一先ず最悪の結果は免れたようだった。

 集中治療室に向かうと青白い顔をしてスッカリ痩せこけた母が眠っている。
 母以上に顔色をなくした父が待っていた。
 全部の胃と膵臓の一部、リンパ節を切除した大手術だったらしい。

 父は主治医から「開けてダメだったら、そのまま閉じる」と聞かされていたらしい。
 切開手術は行われたようだ。

 細い腕に点滴の針が痛々しい。
 今晩は父と交代で看病することになった。
 3時間毎に母の個室で片方が休み、その間に片方が母に付く。

 疲れ果てた父を、一先ず病室で休ませ、母に付く。
 ベッドの横に据えられたパイプ椅子に座り、知らぬ間にズッと母の小さくなった手を握っていた。
 時に痛そうに顔をシカメルことさえ、母が生きている証と喜び、殆ど表情も無く眠り続ける母を唯見続けていた。

 眼を覚ました彼女は先ず集まった彼女の兄弟姉妹を返すように言った。
 「父ちゃんとお前が看病してくれれば良い」
 最初の我侭だった。

 交代するツモリで集まった親族は怪訝そうな表情を浮かべながらも、何処となく安堵した様子で帰っていく。
 母の姉だけは最後まで残りたそうにしていたが、伯父に促されて帰っていった。

 「兄弟がいると反って気が疲れる」
 心なしか気丈な母が戻ってきたようだ。

 それから1ヶ月間を超える入院期間は、父と私が交代で母の話し相手になった。
 ポケットからライターが落ちたのを目ざとく見つけ、「タバコを吸うようになったんだ」と何気ない様子で母が言った。
 電話で病状を知らせて貰えず、慌てて掛かりつけの町医者へ飛んで帰って以来、下宿で独りでいるのが堪らなかった。

 地元の国立大学に合格していたのに、地元を嫌って京都に向かった。
 「如何しても地元の大学には、入りたくない」
 成長してから、始めての私の我侭だった。
 部屋に父が来て、思わず泣いて訴えた私に、初めて父が泣いた。

 私の田舎では地元の国立大学が異常なほど評価される。
 会社でも地域でも報われることの少なかった父にとって、国立を辞退して私立に下宿するという私の考えは、非情なものだったのかも知れない。
 でも、父は私の我侭を許し、母は入学式に昼食を食べた後、必死に泣くのを我慢して帰っていった。

 1回生の時には、理由を付けて毎週帰省していたのは、そんな両親に少しでも報いたい思いがそうさせたのかも知れない。

 『もし』を言い出すと人生が哀しくなる。
 もし、私が地元の大学に入学していたら。
 もし、半分以下の学費で下宿代がいらない大学であったなら。

 母は、転移するまで我慢して働かなくても良かったんじゃないか。
 私が、母の病気に気付いてモット速く病院に連れて行けたんじゃないか。

 幾つかの『もし』が、町医者から実家に帰ることなく、下宿に戻った私を追い込んでいた。
 酒で紛らわせる事はしたくない。
 『覚醒して煩悶すること』を望んだ私はタバコを吸うことになる。

 最初はその箱の余りの軽さに驚いたタバコ。
 「ショートホープ」
 最も強いタバコをと望んで吸い始めたタバコ。

 肺一杯に吸い込むと咳が止まらず、咽ながら吸い続ける。
 タバコの煙が眼に痛いのだ。
 私は始めて泣くことができた。

 病院で少しずつ元気を取り戻していく母。
 ズッと見守る父。
 ある日のこと。
 母が疲れて眠りこけた父を指さし笑った。

 父は病室で昼食を取る。
 その時を見計らって母は、
 「父ちゃん。おしっこ!」
と叫ぶのだと言う。

 昼食を放って置いて、アタフタと母の下の世話をする父。
 隣の空いたベッドで眠り続ける父を見る母の眼は優しい。
 精一杯献身する父を見て母は優しく笑う。

 無邪気な心からの笑顔だった。

 母の長期に渡る入院のため、祖母は娘(父の義妹)夫婦に預けられることになる。

 再転位の可能性の高さを、主治医から知らされていた父と私は母の退院が素直に喜べない。

 「お寿司は?私の退院する日でしょ!」
 胃が無くなって余り食べられない母が気丈に言う。
 初めて気が付いて、慌てて上等の寿司桶を注文する父。
 久しぶりに家族に笑いが戻った。

【第六章】
 祖母が倒れたと電話があった。
 慌てて父が病院に向かう。
 病室の食事を手で貪るように食べる祖母。
 
 下が緩み勝ちだった祖母。
 叔母夫婦は食事を余り与えなかった。

 栄養不足で立てなくなって祖母は入院した。
 母が退院して数ヵ月後のことである。
 完全看護でない病院は誰か付き添いを求めた。

 夜は父が付き添い、そのまま会社に向かった。
 叔母夫婦は付き添うのに会社を休まなければならないと言う。
 昼間、叔母が付き添うために父は幾許かのお金を渡していたらしい。

 この時以来、私は親族をあてにすることはなくなった。

 火曜日に京都に向かい金曜日に帰省する生活が始まった。
 一番下の未だ高校生の弟が料理を手伝った。
 
 見る見かねた役場が祖母の特別養護老人ホームへの入居の手配に走る。
 何十人かの順番を追い越し祖母は特別養護老人ホームへ入居した。

 長男が私立大学で下宿生活。
 次男は就職したばかり。
 三男は高校生。
 病気の母。
 入院した祖母。
 夜は病院、昼は重労働でも最低の賃金の父。

 「如何やって生活しているのか皆が不思議がっていた。」
 特別養護老人ホームを斡旋してくれた民生委員や役場職員の言葉である。
 
 動けなくなると『惚け』が始まる。
 例に漏れず、祖母は見舞いに来る相手が判らなくなっていった。

 卒論の準備で「ツレ(友達)」の部屋に泊まりこんでいた3回生の秋。
 久しぶりに下宿に戻った処に共同電話が鳴る。
 取ってみると私への連絡だった。

 祖母が逝った。
 そのまま、私は京都を後にした。

【第七章】
 2つ違いの3人兄弟だったため、小さい時は祖母の隣で私は寝ていた。
 何時か祖母が死んでしまうのではないか。
 動かない寝顔を見ては恐怖に襲われたことがある。

 未だ周りに『死』の影すらない頃から私は『死』を身近に感じていた。
 今、私は生きている。
 10年後は間違いなく生きている。
 20年後は、30年後は・・・。

 今の思考が何十年先か判らないが必ず途絶える時がくる。
 恐怖に駆られて眠れない夜を過ごすこともあった。
 『死』は『自分がなくなるという恐怖』以外の何者でもなかった。

 そんな小学生のある夏のこと。
 台風が直撃したことがあった。

 不遇な人生を思ったのか父は祖母と共に新興宗教に嵌まっていた。
 大雨が降る中、祖母と父は新興宗教の協会に出かけた。
 
 残された3人の子供を抱え、泣きながら畳を上げる母。
 初めて床下浸水が起こった日である。

 平然と帰ってきた父に母は号泣して訴えた。
 宗教は何もしてくれなかったらしい。
 父は宗教を辞めた。

 それから、我が家では、祖母を除いて、一切宗教と関ることが禁じられた。
 「御先祖様を拝んでいれば、それで充分。」
 母の強烈な思いである。
 
 小学生ながら台風の日の母の苦しみや侘しさを見た私は、『皆に祝福を与える』という宗教に深い疑問を持った。
 『死』への恐怖は、新興宗教を含め既成宗教では救われない。
 小学5年生の時である。

 自分で、自分だけの『神』を創造した。

 その『神』へ祈りは、30数年を経た現在まで、絶えることなく続いている。

【第八章】
 これほど小さかったのかと驚くほど祖母の亡骸は小さかった。
 気丈な祖母は気丈な母と何度も大きな喧嘩をしていた。
 あれほど大きく見えた祖母。
 何時も隣で寝ていた祖母。

 初めて経験する身近な『死』であった。
 全く恐怖のない『死』であった。

 田舎の葬式は非常に立派に行われる。
 祖母の親族関係、両親の親族関係、知らない顔が大半だった。
 葬儀は本膳とは別に、その席で食べてもらう『食(じき)』を出す。
 病身の母が台所で、肩で息をしながら『食(じき)』の用意をしている。

 読経が続く中、勝手口から金切り声が聞こえる。
 父の義妹が、怒鳴っているのであった。
 祖母を特別養護老人ホームに入れた不満をブチマケタらしい。
 誰がその原因を作ったのか全く考えずに。

 気丈な母だったが、静かに叔母の怒声を受ける。
 葬儀に相応しくない。
 母は一心に耐えた。
 
 叔母夫婦は母の兄と父の義妹が結婚しているため、我が家に最も近い親族である。
 私は、今後一切、この家族と親しく接することはないと固く決心した。

 葬儀が終わると虚脱感に包まれる。
 みなボーっとして何も手に付かなかったことを思い出す。
 表の表札から一人の名前が消えた。
 そのことに気が付いたのはズッと後になってからだった。

 母の手術・入院。そして祖母の入院・葬儀。
 両親が『爪に火を灯す』ように少しずつ少しずつ溜めていた貯金が底をついた。
 私は、京都に戻り、週末は帰省する生活が習慣になっていた。

【第九章】
 4回生になり就職が決まった。
 望むべきことのなかった地元での就職だった。
 地元での就職を半ば諦めていた母は非常に喜んでくれた。

 弟の軽自動車で母を病院に連れて行くのは、私の役目になっていた。
 あと数ヶ月で卒業という日。
 主治医が私を呼んで言った。

 「何処へでも好きな処に連れて行ってあげなさい。」

 悪性腫瘍の全身転移。
 何気なさを気繕おうと私は一所懸命に涙を堪えた。
 母も気がつかない振りをして一所懸命に涙を堪えていた。

 再び母の入院生活が始まる。
 4回生で殆ど単位を取る必要がなくなっていた私は、京都から直接母のいる病院に通った。
 学校での出来事を話す私を嬉しそうに見つめ、気丈に微笑む母。
 
 病院にいくのが辛かった。
 バス停が、丁度3階の母の病室の前にあり、バスに乗り私の姿が消えるまで、母の病室には見守る影があった。
 
 何時しかその影が見えなくなった頃、親族を呼んだ。
 最もキツイ痛み止めも効かなくなっていた母は腸ネンテイを引き起こし、ベッドでのた打ち回っている。
 3日の間、父も私も眠っていない。
 一瞬、母の意識が戻った。

 疲れ果てて椅子で眠っている父を見て、そっと微笑んだ。

 今でも忘れることの出来ない自愛に満ちた微笑だった。

 直ぐに様態が悪化して昏睡状態になる。
 三々五々に親族が集まってくる。
 暫らくして母は息を引き取った。

【第十章】
 田舎の風習で葬儀は『同行』と呼ばれる集団毎に行われる。
 その『同行頭』や自治会長に母の葬儀を告げて廻る父と私。

 父は泣きっぱなしだった。
 そして私は我慢しているのに何故か涙が零れていた。

 殆ど眠っていない父は母の葬儀の途中で倒れ、暫らく休むことになる。
 寝ないで『蝋燭の火』を見守る掟だが、疲労困憊した私や父が出来るはずもない。
 一瞬の気の緩みで眠ってしまった。

 師走を数日後に控えたその日は、珍しく暖かく風もない。

 夜中に、急に、家中の柱や梁が軋み『ギシギシ』と鳴った。
 『家』が悲鳴を上げていた。

【第十一章】
 『優曇華(うどんげ)の華』を見た。
 梁の処に咲いていた。
 それは何とも言えず可憐で綺麗なものだった。

 母がいなくなり、家族全員が呆けた数日を送った後、父が誰に言うとも無く呟いた。

 『優曇華(うどんげ)の華』が咲いていた。
 それは何とも言えず可憐で綺麗なものだった。

 それは、本当に心の底から愛した人を失った人にだけ見せる彼岸と現実の境に咲く幻の華。
 彼岸に旅立つ人が、最愛の人にだけ送る最期の贈り物。

 父の言葉は何の疑いもなく私の頭に入っていった。
 それは当然のこと。
 最愛の人、父への贈り物だったのだろう。
 そう信じて疑うことはなかった。

 母の亡骸を失ってから『家』は一度も鳴ったことはない。
 中学の入学を機に買って貰った腕時計が動くのを止めていた。
 そして、私は「自ら創造した『神』」に『或る事』を願うことになる。

 そして少しずつ新たな秩序が生まれていった。

【第十二章】
 その父は、母を失ってから3年ほどして脳梗塞で倒れてしまう。
 退職を目の前にした正月明けのことである。

 母がいたら許さなかっただろうが、当時、私は一人で世界を彷徨うことを始めようとしていた。
 父が倒れたのは、その最初の旅の時である。
 帰宅した玄関に張り紙がしてあり、ディパックを置いてそのまま病院に向かった。
 待合室で少し仮眠する。

 『何故、この看護婦さん日本語を話してるんだ?』
 眼が覚めた時、真っ先に思ったことである。

 右側に半身不随の後遺症を残し、父は退院することになる。
 脳動脈に梗塞が見られ、何時爆発しても不思議でないと主治医が教えてくれた。
 「リハビリをすると即死に繋がる恐れがある。」
 「リハビリしないと完全に寝たきりになる。」
 その選択が私に託された。

 「手術をしても、手遅れで助かる可能性は少ない。」
 「手術をしなければ3ヶ月もたないだろう。」
 母の時、その選択を父は託されていた。

 今度は、私の番である。
 「リハビリをしてください。」
 私は、言葉を区切るようにハッキリと答えた。

 父は父で私の選択などお構いなしに、勝手に必死でリハビリに励んでいた。
 「息子は当てにならない」と心から思っていたようだ。

 父は、隣のベッドにいた『彼より軽症で直ぐに動けると言われていた人』の奥さんとバッタリ病院で会ったと言う。
 奥さんが一所懸命に手助けしてリハビリをしていたが、結局動くことさえ出来ずに逝ってしまったらしい。

 当てにならない息子も、少しは役に立つこともあるらしい。
 全身のバランスを司る中脳の機能を失った父が、何とか一人で動けるまでに回復した。
 主治医は奇跡を見るように驚いていた。

 未だ未練があった会社を退職させ、父は自宅で生活するようになる。
 会社に戻れば3年で確実に命を失うと私は判断した。

 30半ばを過ぎても、一人旅にウツツを抜かしている息子に漸く親しい女性ができた。
 彼女の手料理を食べた父は、私よりも彼女を気に入ってしまった。
 一番下の弟に子供が出来た。

 久しぶりに孫の顔を見せに弟がやってきた1週間後、彼女が部屋に泊まりこんだ翌日の朝。

 父はヒッソリと息を引き取った。

 出勤しようとする私は眠っている父に声をかけた。
 返事がないこともあるので何時もなら気にしなかったのかも知れない。
 しかしながら、その日は何か不快な予感があった。

 私は、午前4時に屋外にある手洗いに行っていた。
 母屋に独りで眠る父を、少し気にしながらも、自分の部屋に戻って眠ってしまった。
 夢の中だったのだろうか。
 何故、父が私の部屋の入り口に立っているのだと訝しがっていた。

 揺すっても動かない。
 冷たくなった身体を見て動転する。
 彼女が飛び込んできて救急車を手配するように叫ぶ。

 電話で心臓マッサージの方法を聴きながら嗚咽を堪えて父の胸を押す。
 肋骨が折れる音が聞こえる。
 救急車で病院に運ばれた時には、既に死後4時間が経過していた。

 まるで眠っているような安らかな顔と胸で合わされた両手。
 苦しんだ跡は何処にも見当たらない。
 「心臓発作で一瞬のうちに逝ってしまったのでしょう。」と主治医が呟いた。
 脳梗塞を起してから10年目の6月のことである。

 1年後、父の葬儀で、香典をカバンに詰め込み、家内一切のことを取り仕切った彼女が正式に妻となる。
 そして、新たな生活が始まろうとしていた。

              第一部 完

《第2部》
【第一章】〈妻の力〉
 「豊さん。この頃少し変なの。」
 「玄関に虫の幼虫みたいなものが一杯落ちている。」
 二人だけの夕食を囲んだ食卓で、余り嬉しくない話を妻が始める。
 
 「上で何か死んでいるのかな?」
 「でも去年の6月にも同じことがあったんで死んでいるなら今年まで落ちてくることは考えられないし。」
 「それに6月だけなの。」

 「一度消毒でも頼んでみようか」
 私は答えてこの話題を打ち切ってしまう。
 妻は少しつまらなそうに漬物に橋を伸ばした。

 「何、これは!」
 翌日の朝、屋外のプレハブを自分専用の部屋として使っている私は玄関に入るなり悲鳴を上げた。
 『蛆』の様なものが、一箇所に固まることなく、辺り一面に散らばっている。

 ギョッとして見上げた天井には何処にも隙間が見当たらない。
 私の悲鳴に妻が飛んできて、『それ見ろ!』という顔をしている。

 「何時もこんなに酷いの?」
 「今まで気が付かなかったけど。」
 私は『蟲』を避けながら妻に聞いた。

 「今日は少し多いわね。」
 「でも最近は何時もこうなの。」
 「だから、『カビキラー』で私が退治しているの。」
 何故『カビキラー』なのか良く判らないが、この事態はただ事ではない。

 「消毒を頼もう。」
 帰ってから電話をすると言う私を妻が止める。
 「チョッといい。」

 「今はダメ。時間がない。会社に遅刻する。」
 「帰ってからジックリと話そう。」
 慌てて私は車に乗り込んだ。

 疲れて帰宅すると妻が玄関で待っている。
 朝のことを思い出した。
 明日は土曜で休日である。
 疲れてはいるものの、時間はタップリとある。

 座敷の食卓で彼女と向かい合う。

 「私が此処に来た時のことを覚えている?」
 同棲さながらに我が家に住み着いた彼女は、その4年前のことを言っているらしい。

 「この家には『双つの影』が居るっていったのを覚えている?」

 小さい時から自閉症気味で『木』や『古い建物』と話が出来たと言う彼女の『何かが居る』という言葉を私は聞いていた。

 「『双つの影』には全く悪意が感じられなかった。」
 「何時もソッと側にいるって感じだったんだけど。」
 妻が話を続ける。

 「今回の『蟲』の件では、少し違うものの気配があるの。」
 「悪意でも善意でもない。」
 「ただ単に悪戯をしているだけって感じがする。」
 
 真剣に話続ける妻を私はジッと見つめている。
 妻の話を『馬鹿馬鹿しい』と思ったことはない。
 『何か』を感じたり見えたりする人がいることを私は疑っていない。
 
 「それで如何するの。」
 「放って置いても良さそうなものなの?」
 私は彼女に尋ねる。

 「うーん。良く判らない。」
 「今は悪意も善意も何もないけど、悪意に傾く可能性を感じることがある。」

 「そう。」
 私は頷いた。
 
 「未だ子供みたい。これから如何変わって行くかは判らないけど。」
 「今は、余所者なんで、少し悪意が感じられるだけかも知れない。」
 「この家に慣れれば、善意の存在になりそうな気がする。」
 妻は不安そうに言葉を紡ぐ。

 「妙に騒ぐと、余計に酷くなって手に負えなくなるって聞いたことがある。」
 「『蟲』だけですんでいる。」
 「『悪戯』だって気がするんだろ。」
 「暫らく様子を見よう。」
 「それからでも遅くない。」

 妻は漸く安心した表情を見せた。

【第二章】〈『家』の力〉
 我が家には『ある云われ』がある。
 無論、古くからの格式高い家柄なんかではない。
 50年程前に立てられた小さな木造家屋である。
 今ではアチコチの痛みが激しく生活には不自由しないが、お世辞にも立派な家だとはいえない。

 この家を建てた時のこと。
 屋根は乗ったものの未だ完成する前に、この地方を大きな台風が襲った。
 父は建てて貰っている近所の大工の元に走り、何か補強をして欲しいと頼んだと言う。
 しかしながら、昔の職人気質のその大工は平然と答えた。
 「オレが建てている家が崩れる訳がない。」
 「もし、壊れたら責任を持ってもう一度建ててやる」と。

 夜間になり暴風雨に変わる。
 家が台風に軋み始める。

 「早く出て来い!」
 祖父の声が聞こえたと父が言う。

 慌てて祖母と義妹を叩き起し、玄関から暴風雨の中に飛び出した。
 その途端。
 塗られた壁を、折れた柱が突き破り、屋根が崩れ出す。

 一瞬の事だったという。

 翌日、『大丈夫だったろう』と笑みを浮かべてやってきた大工が真っ青になった。
 見事に瓦解してしまった『家』を見て泡を食って材木を集めて再び建築してくれたらしい。

 祖父は未だ父が中学に上がる前に他界していた。
 『家』に守られている。
 そして祖父にも。
 父はそう信じていたし、私もそれを疑うことはなかった。

 私は、小学生の時に自分で『神』を創造した。
 父から聞いた『この家の力』を信じ、それから毎日、この家には結界を張ることにした。

【第三章】〈私の力〉
 私が未だ京都で学生をしていた頃、仲間3人と『見泥が池』を深夜に訪れたことがある。
 『何かが出る』ことで有名な場所だ。

 不気味に静まり返った池の向こうに窓に鉄格子を入れた朽ちた建物が見える。
 瞬間的に『嫌な場所』だと感じた。
 『土地』が建物を侵して同化してしまっている。

 その帰宅途中で深夜営業の喫茶店に入ることにした。
 「サービスで一人分多くの水や蒸しタオルが出てきたら面白いかも知れない」
と無邪気に一人が言った。

 3人でドアを開け、空いた席に座る。
 ウエートレスが持ってきた水と蒸しタオルは、4つずつであった。

 仲間3人と行ったと先に書いてしまった。
 でも、昔から交流関係の少ない私は、学生時代も仲良くしていた「ツレ(友達)」は限られている。
 何故か今、『最初に思い出したのは4人で行った』ということ。

 もう一人が誰だったか如何しても思い出せない。
 普通、喫茶店のソファは4人掛である。
 間違いなく1つ空席があった。
 下宿に戻った私は眠る直前に白い影が部屋の中を横切るのを見た。

 就職してからのことである。
 当時、20代後半であった私は、自宅からは通えない事務所に配属されていた。
 職員住宅に独りで住む環境は学生時代を想い起し、久しぶりの自由を満喫していた。
 車に乗ることが好きな「ツレ(友達)」に誘われてはドライブをすることが多かった。

 場所は今では良く覚えていない。
 バブル経済が弾けた直後で、社会全体に暗い影を落としていた時代である。
 山間の道を進むと造成された宅地に数件の家が点在する場所にでた。
 夕闇が迫ろうとしている時刻に、どの家にも明かりが灯っていない。
 空いた場所には捨てられた電気製品などがウズ高く積まれていた。
 見捨てられた場所である。

 車を降りた直後、矢張り瞬間的に『嫌な場所』だと感じた。
 面白がっていた「ツレ(友達)」に言った。
 「出川さん。この場所は非常にまずい。」
 「申し訳ないが早く帰りましょう。」

 チョッとした探検を楽しもうとしていた「ツレ(友達)」は『妙なことを言う奴だ』という表情をしていたが、私は独り勝手に車に乗り込んだ。
 彼は大いに不満そうであったが、我々は『その場所』を後にした。

 同じ職場に勤めるものの、彼は少し遠い処にアパートを借りて生活している。
 職員住宅に戻るとカナリ遅い時間になったので、何時ものように彼は私の部屋に泊まることになった。

 世帯用に造られた職員住宅は、一家族が『二階と一階』を利用するアパート形式となっている。
 その一室が私に割り当てられ、『二階と一階』を独占していた。
 『出川さん』は二階に泊まり、私は何時も使っている一階で眠ることにした。
 毎回、彼が泊まる時と同じ具合に。

 暫らく一階で旅行の話などしていたが、流石に眠くなる。
 『出川さん』は二回の部屋に上がっていった。

 十分も経っただろうか。
 突然『ギャー』という大声が聞こえる。
 『大丈夫ですか!』と大声を上げたが返事がない。
 今考えると不思議なことだが、私はそのまま二階に上がることなく眠ってしまった。

 翌日、『出川さん』に尋ねると疲れて部屋に入るなり眠ってしまったと言う。
 「でも、『ギャー』という大声が聞こえたんで、『大丈夫ですか!』と大声で聞き返したんですけど。」
と言うと不審そうな顔付でそんな覚えは全くないと答えた。

 今は多くの店が集中する大きなサービスエリアになっている、あるインターチェンジがある。
 『出川さん』の運転で出かけた当時は、単に高速道路を降りるための道路が山間の細い道に繋がっているだけの寂しい場所であった。
 細い田舎道は疲れを癒してくれる自然に囲まれ、爽快なドライブになる筈であった。

 それが、段々と更に細い薄暗い道へと繋がって行く。
 始めは「何か『恐ろしい処』に着きそうですね」と笑い合っていた二人である。

 何か嫌な予感が頭を過ぎる。

 「止めましょうか。何か本当に『嫌な場所』に出そうですよ。」
と私が声をかける。

 「大丈夫。大丈夫。よく見てみろ。前に白い軽トラックが走っている。」
 「何処かの集落に着くはずだ。旅行者や遠距離通勤者にはとても思えない。」
と『出川さん』は笑って答えた。

 対向車が来たら避けようもない山間の細い一本道である。
 両側から山が迫っており、分岐する道など考えられない。
 ただ『前進あるのみ』である。

 暫らくドライブを続けていると『嫌な場所』に向かっているという予感が段々強くなってくる。
 「『出川さん』。前を白い軽トラックが走っていましたよね?」
と私は尋ねた。
 またしても『妙なことを言う奴だ』と怪訝な表情をしながらも『出川さん』も漸く気が付く。

 曲がりくねった場所では、合間、合間に見えていた『白い軽トラック』である。
 曲がりくねった場所を抜け一直線になった細い道は、先まで見渡せるようになっていた。

 「あの『軽トラック』は何処にいったんでしょうね。」

 今まで分岐する道はなく、また、遠くまで見渡せる、先に続く細い道に分岐する道はない。
 勿論、それまでに集落どころか家一軒見た覚えはない。

 イキナリ車を止めると何回もハンドルを切り返しながら、何とか車を反対側に向ける。
 そうして逃げるように車を飛ばして帰った。
 後ろから何か『嫌なもの』に追いかけられる気配に怯えながら。

 私は妻のように『何かが居る』のを感じたり、見たりすることは出来ない。
 しかしながら、『嫌な場所』を感じることが出来る。

 『問題のないレベル』であれば、チョッとした『悪戯』が必ず、その場所を訪れた後に起こってしまう。
 そして、多分であるが、『如何しようもないレベル』の場合は、事前に『近づくな』と『警告』がある様だ。

 臆病な私は、それを、間違いなく『警告』だと信じており、それ以上進んだことはない。
 だから、『如何しようもないレベル』の『嫌な場所』を訪れたことはない。

 訪れていたとしたら今の私は居なかったかも知れないと本気で信じている。

【第四章】〈守る力〉
 私と妻には子供がいない。
 遠く離れた土地で、二人の子供を抱え、独立して生活を営む一番下の弟は考えられないが、未だ独りで我が家の一室に同居している真ん中の弟は我が家の跡継ぎになる可能性がある。
 
 昔の大きな乳母車に、未だ幼い彼が一人で乗って遊んでいて、裏を流れる小川に落ちたことがある。
 近所の人の叫び声を聞いて父が駆け寄ると乳母車の手すりに懸垂さながらに、ぶら下がって濡れてもいなかった。

 ベビー箪笥で彼が遊んでいた時の事。
 大音響と共に箪笥が倒れ、最上部に嵌め込まれていたガラスの『引き違い戸』が粉々に散らばる中、吃驚した両親が慌てて箪笥を引き起こす。
 観音開きの中央部に彼はスッポリと入って傷一つ負っていなかった。

 彼は、就職して最初の頃は軽自動車に乗っていた。
 曲がり角で見通しが良くない細い道があり、隣の川は数メートル毎にコンクリートの上蓋がされていた。
 双方のスピードの出し過ぎで、衝突しそうになった時、彼は川へとハンドルを切ったらしい。
 
 正面衝突は避けられた。
 
 しかし、彼の『軽自動車』は、コンクリートの上蓋と上蓋の間に、スッポリと嵌まり横転している。
 慌てて近くの人が駆け寄ると、彼は自力で横転した車の運転席から這い出してきたらしい。
 車は全壊したものの、彼は『かすり傷』一つ負っていない。
 その直後、その川は暗渠になった。

 次の車も同種の軽自動車である。
 前回の事故の反省もなくスピードを出していたらしい。
 『細い橋』の直前で対向車を避けきれず、低い欄干に激突してしまった。
 そのまま自動車修理工場まで運転していったらしい。
 
 車を見るなり整備士が叫んだようだ。
 「如何やってここまで運転してきた?」
 「左側の前輪が一つ分後ろにズレている!」
 勿論、彼は『かすり傷』どころか『ムチ打ち症状』も出なかった。

 それから、彼は中型に車を運転するようになった。
 前に全壊した2台の車は、ある『交通安全祈願』で有名な神社で祈願してもらい『交通安全』の『御札』がバックミラーにぶら下げてあった。
 そのため、私は、車を購入して以来、安全祈願をしたことがない。

 長男の私は未だ生まれて間もない頃、私を背負った母は、父が運転する自転車の後ろに乗って買い物に出かけていた。
 如何した弾みか、彼女は後ろにヒックリ反ってしまった。
 無論、彼女は怪我一つしていない。
 背負われた私がクッションの役目をしたからだ。

 眼を剥いて泡を吹く私を、何故か一度『家』に戻ってから医者に運んだらしい。その自転車で。
 「後頭部を強打している。」
 「死ぬか。死なないでも大きな後遺症が残る可能性がある。」
と言われて両親は驚愕したらしい。
 
 その後、母は事ある毎にこう繰り返した。
 「お前の頭が悪いのは、この事故の後遺症だ。」
 「決して、私や父ちゃんの遺伝じゃない」と。

 我が家の『跡取り』になる可能性があるものは、『何か』に守られている。
 以前は気にも留めなかったが、如何も『偶然』では無いのかも知れない。

【第五章】〈其々の力〉
 妻は『何かが居る』のを感じる『力』がある。
 私には『嫌な場所』を感じる『力』がある。
 そして『我が家』は、「『跡取り』や、住むことを認めたモノを守り、異質なものは徹底的に排除する『力』」がある。

 それまで、スムースに動いていたビデオデッキはテープを巻き込み動かなくなった。
 それまで、スムースに動いていた洗濯機は脱水できなくなり、乾燥機は動かなくなった。
 それまで、スムースに動いていたオーディオシステムは、突然テープを巻き込むようになった。
 買ってから3年も経たないTVが、突然、何も映らなくなった。
 彼女が住み始めて1ヶ月の間に次々と起こったことである。

 4年が経った今では、取り付けて30年以上になるものの、それまでビクともしなかったシステムキッチンが、完全に瓦解して、シンクだけが辛うじて残り、下部に取り付けられた食器棚や前面の扉は全て無くなってしまっている。

 そして、彼女の言う『双つの影』が何時も彼女に付きまとう。

 始めは怖がって、屋外に建てられたプレハブの「私の部屋」に篭って、母屋に中々近づこうとしなかった彼女だった。

 何時の頃からか彼女は空いた部屋を自分の部屋に改造し、嫁入道具として連れてきた『一匹の猫』が十数匹を数えるまでに増殖いた今は、母屋は完全に妻のテリトリーとなっている。
 最近は、「私の部屋」に寄り付くことさえ少なくなった。

 『我が家』は彼女を認めたらしい。
 始めはそう思っていた。

 今考えると如何も少し違うようだ。

 先にも述べたが、我が『中上家』一族の祖先はハッキリしない。
 しかし、集落の神主と昔に繋がりが在ったらしい。

 そして祖母以来『先を見通す』のは常に外から向かえた、気の強い『嫁』である。
 早世した祖父は良く知らないが、非常に大人しく優しい人だったと聞いている。
 父も私も、そして多分祖父も『妻』には頭が上がらない、俗に言う『カカア殿下』が我が家の家風である。

 そして、父は祖父の声を聞いて祖母と義妹を救った。
 私や弟は、『何か』に守られている。
 そして、私には『嫌な土地』を感じることが出来る。

 『巫女』的な『力』を受け継ぐのは、我が『中上家の跡取り』であり家族を救う役割を果たす。
 先を見通せる『何か』を感じる『力』を持つものが『嫁』に選ばれ、『家』に認められると、我が家を守る『要石』の役割を果たす。

 祖母が、母が、そして今は妻がその役割を果たしているのだろう。
 世代が交代する時、全てのモノが壊れてしまうのは、『家』の激しい葛藤の為なのかも知れない。

 こうして我が家は守られ、そして子孫を守っていく。
 其々の『力』の調和が漸く構築されようとしていた。

           第二部 完

《第三部》予兆
【第一章】〈他人の力〉
 TV番組など、放送することがなくなると『霊』を特集する。
 そして何処からか『霊能者』が現れて『除霊』して終わりとなる。

 私は、ここに書き連ねてきたように『何か或るもの』については、微塵も疑うことなく信じている。

 但し、『霊能者』は別である。

 私や妻、我が家には、其々に『力』がある。
 ただ、それは全てを包括する『力』ではなく、其々に個性を持った一部の『力』である。
 それは、一族に関する『何か』を、『感じる』『見る』、そして一族に『事前に知らせて守る』ものであり、一族とは関係のない他人に付く『霊』を『除霊』する能力は全くない。

 『神秘主義者』には、『戯言』と映るかも知れないが、私は『霊』を、見えない『物質』の一種だと考えている。
 TVで良く見る『除霊』は、『闇に光を当てて』中和する、あたかも化学作用のように感じてしまう。

 化学作用で『物質』は消滅しない。

 物理学では、正の電荷を帯びた『陽子』と負の電荷を帯びた『反陽子』というものが存在すると唱える宇宙物理学者がいるらしい。

 『陽子』と『反陽子』が出合ったら如何なるのか。
 『対消滅』を引き起こす。

 凄まじいエネルギーの放出である。
 小宇宙など吹き飛んでしまうようだ。

 私は、無学にして、この地球上で、それ程までに『大きなエネルギーの放出』が、それも番組が放送される毎に発生した、という記憶はない。

 また、『霊』はエネルギーの一種かも知れない。
 でも、エネルギーは物質に姿を変えることはあっても、エネルギー自体が、唯、消滅してしまうことは有り得ない。
 物理学の基礎『エネルギー保存の法則』が何処かに吹っ飛んでしまう。

 だから、『除霊』など有り得ないし、それを売り物にする『霊能書』には大いに疑問を持っている。
 『娯楽』の一種として楽しめば良いのではないかと考えている。

【終章】予兆
 我が家の『力』の調和は完成している。
 『家の中』は妻が守り、『家の外』は父の晩年を何時も一緒に過ごした『犬』が守っているようだ。
 
 軒下から出ていった『真っ白な蛇』の代わりに十数匹の『猫』に3匹の候補がいる。
 『蛇』が去った後の『暗い陰』は、払拭されようとしている。

 しかしながら、私には妻に伝えていない秘密がある。
 母が逝った時、私は『在る事』を自分の『神』に願った。

 『母と同じ歳になったら私は死ぬように。』
 
 半年後、私は、母が逝った歳になる。
 完成された筈の『力』の調和が、『家』の結界が、一部破綻し始めているようだ。
 『蟲』騒ぎの原因は、その『予兆』だと考えている。

 急にこの文章が書きたくなったのは、偶然ではないのかも知れない。
 私が生きて、守ってきたこと。
 そして、来年以降は、それを果たせなくなること。
 全てを語っておきたかったのかも知れない。

 妻が言う。
 「昨日話した『余所者』の『何か』なんだけど・・・。」
 「どうも、私の左足に付いちゃったみたい。」
 「もう少しすると『座敷童』になるような気がする。」
 「『座敷童』は女の子だったような気もするけど、この子は男の子。」

 「昨日、豊さんも言ってたよね。」
 「今回の『何か』は、本来、生まれる筈だった『跡取り』なんかじゃないかって。」 
 「男の子の『跡取り』が私の足にいるんだって感じている。」

 我が家の『後取り』は、ズッと述べてきた様に『特別な意味』を持つ。
 だから、私は軽々しく『跡取り』なんて表現はしない。
 昨日、夜更けまで妻と話していたが、私が『跡取り』なんて言葉を使うことは『絶対』に在り得ない。

 どうも『我が家』は来年以降の事も考えてくれているらしい。
 『座敷童』はその家に『豊かさ』をもたらすという。

 来年からは、我が家は、私『豊』を失うが、『豊かさ』を得ることだろう。
 私は、『億』を超える保険に入っているのだから。

             完


 ワープロ原稿で約30頁に及ぶ手記『「空想物語」・・・「うつ」が見せる白昼夢』に最後まで付き合っていただいた貴方。

 その忍耐力に感謝します。

 最後に繰り返しますが、これは「空想」のお話です。
 実在するのは「京都」という地名だけで、それ以外は完全にフィクションです。
 
 「杉の花粉」の本名は『中上豊』ではありません。
 勝手に付けた名前ですので、本当に実在されていたら如何か御容赦願います。
 
 一部、これは自分のことかも知れないと疑っている貴方。
 そんなことは、『絶対』にありません。
 
 「杉の花粉」はネットだけの存在です。
 何処にいるかは・・・。
 
 貴方の白昼夢が始まりました。
 それが、ナイトメアでないことを祈っています。
 
 ・・・電子の世界より。


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